教科における自立型学習に関する授業研究:単元内自由進度学習とその意義 

(『個性化教育研究』5号、2013年10月、2-14頁)

0  はじめに

 本稿の目的は、各教科における子どもの自立型学習(一人学び)としての単元内自由進度学習について、その授業研究の進め方および意義を明らかにすることである。いわゆる一斉指導方式や協同的学習といった方法の実践は多く見られるが、それらとは大きく異なるこの学習に関する現時点での実践事例は非常に少ない。が、この論考で指摘するその意義に鑑みれば、この方法論の実践もまた、他の方法論と同様に重視されてしかるべきであると思われる。そこで、本稿では、外部講師として、学校現場でこの方法に基づく授業研究に携わってきた立場から、その入門的解説を試論として示す。
 以下では、次のような順序で説明を進めて行くことにしたい。第1に、単元内自由進度学習の概要を紹介する。第2に、この学習の目的・目標について整理する。第3に、この学習の詳細に関して、内容面=カリキュラムづくりの側面と、方法面=実践上の留意点という側面に分けて説明する。そして、第4に、この学習の研究授業と事後検討会がどのように行われているのかを簡潔に整理したい。そして、最後に、こうした授業実践の歴史的背景及び意義に触れたい。

1 単元内自由進度学習の概要

 単元内自由進度学習とは、教科学習のための一方法論で、ある教科のある単元において、個々の子どもが、予め準備された教材を用いて、自分なりのペースで主体的・自立的に進める学習を意味する。たとえば、ある教科に10 時間で実施する単元があるとしよう。この10時間のうち、最初に、その単元全体の見通しを子どもたちに与えるために行われる「ガイダンス」の1時間と、最後に、単元全体の振り返りのために行われる「まとめ」の1時間では、子どもたち全員を一斉に相手にした教師主導の授業が展開されるが、その間の8時間は、子どもが自ら立てた学習計画表に沿って、自立的に学習を進める。その中で、子どもたちは、一人ひとり個別に、あるいは、時には互いに協力しながら、自立的・主体的に学習を進めて行く。子どもたちは、ホームルームや多目的スペースなど、許された範囲内の各自思い思いの場所で、あるいは、その時々に必要な場所で、自らのペースで学習を進めて行く。
 ただし、自由進度といっても、学習指導要領上、その単元で最低限扱う必要がある指導事項については、どの子どもも、その単元の授業時数内で終えることが求められる。そのような事項に関しては、チェック・ポイントとして、学習カードの確認・添削や小テストなどの機会を設けることになる。
 他方で、この学習では、一つの単元に対して、子どもたちが自由に選択できる複数のコースを設けるのが一般的である。どのコースでも、上述のように最低基準としての学習事項は必ず扱われるが、同時に、コース毎に他とは異なる作業内容や手順・方法を取り入れることで、それぞれ部分的に異なる一連の学習カード等の教材が準備される。子どもたちは、最初のガイダンスの時間に、複数のコースの違いについての説明を聞き、その中から、自らが興味を持った、あるいは、自分に合っていると思うコースを選択し、コース毎に準備された各種学習材や教科書を用いて、自立的に学習を進めることになる。
 くわえて、これら各コースの学習材の他に、発展学習として、より高度で追究的・問題解決的な課題、あるいは、より多様で子どもにとって魅力的に映るような課題も合わせて用意され、規定の授業時数内で各コースの学習材を早く終えた子どもたちは、自らの興味・関心や適性に応じて新たに課題を選択し、さらに学習を継続できるように工夫される。こうした学習形態が、現行学習指導要領で言うところの「個に応じた指導」あるいは「個性を生かす教育」という趣旨に沿うものであることは明らかであろう。
 

2 単元内自由進度学習の目的・目標

 この学習の目的は、第1に、一斉授業では実現が難しい水準の「個に応じた」学習プログラムを準備することによって、また、多様な子どもをそれぞれに動機づける多様な教材や環境を整備することによって、どの子どもも最低限身につけるべき学力を形成できるようにし、同時に、それぞれの持つ資質・能力を可能な限り伸ばす機会を保証しようとすることである。第2に、学習上の大幅な自由度を子どもに与えることによって、「自己学習力」と呼びうるものを子どもたちが身につけられるようにすることである。このことは、端的に、現行学習指導要領の言う「自主的, 自発的な学習が促されるよう工夫すること」を明確な実践方法として具現化したのが、この学習方法であるということを意味する。
 これら2点に関して敷衍しておこう。単元内自由進度学習を導入するのは、単なる習熟の差のみならず、多様な子どもの興味・関心、学習スタイル、学習のペースなどにも対応し、それらを生かすことを目指すためである。子どもによっては、新しい学習内容の導入に際して、言葉や文字情報による解説が取り組みやすい子どももいれば、その前に、その単元に関連するものづくりなどの手作業から入ることではじめて学習に動機づけられる子どももいる。また、教科書だけでなく、それ以外の図鑑や図録を使う方が、あるいはVTRで何度でも必要な情報を確認しながらの方が、また、コンピューターを用いながらの方が、より学習に集中できるという子どももいる。さらには、その単元のどの部分でより時間を要するか、どこにどんな時間の掛け方をすることで、より単元目標に近づきやすくなるかといった点でも、子どもにより違いが見られる。これらは、必ずしも序列化されるべき差ではなく、各子どもの持ち味として生かされるべきものである。 
 だからこそ、この学習では、一つの単元内で、それぞれの子どもの特性が活きるような、あるいは、普段の一斉授業では否定的に映るような特性が否定的にのみ扱われなくなるように、工夫を凝らした複数のコースを設けたり、できるだけ自由な学習場所を認めたりする。あるいは、それぞれの子どもが自らのつまずきのポイントを着実に乗り越えられるように、また、自分の資質・能力をそこで可能な限り伸ばしてくれるように、さらには、自分の追究したい課題にじっくりと取り組めるように単元構成を図る。こうした工夫を通して、子どもたち全員に、ミニマム・スタンダード(最低基準)の達成と、より高度な、あるいは多様な学習機会を保証することを目指す。
 このような手立てやプログラムによって、学習の内容面に関する充実化を図るのみならず、この学習は、主体的で自立的な学びの作法を、つまりは「自己学習力」と呼びうるものを子どもたちが身につけることを目指す。ここでいう自己学習力とは、他人からの命令・指示によってではなく、自分の意志・判断によって、自分の学習を組み立て、進めて行くことができる能力を指す。単元内自由進度学習は、自分がこれから取り組む内容や方法が、自分以外の誰かの指示に大きく依存するような状況においてではなく、子どもたちが、大幅に与えられた自由度の中で、自分で自分をコントロールし、自分の学び方を工夫し、その中で学ぶ楽しさや充実感・達成感を味わうという経験を積み重ねることができてこそ、自己学習力は育つという視座に根ざして導入されるものである。「指示待ち人間」ではなく、あるいは、自分の動き方を他人に委ねてしまう存在ではなく、失敗や停滞を経つつもそれを克服し、主体的に自分の課題を解決できるような存在により大きな価値を置き、そうした能力を育てようとするのが、この方法論なのだと言えよう。
 

3 単元内自由進度学習の内容面と方法面:カリキュラムづくりとその実践上の留意点

(1) 単元内自由進度学習の内容的側面=カリキュラムづくり

 単元内自由進度学習では、子どもたちが、基本的に自分一人で学習を進めて行けるように、学習カードその他を含む一連の教材を、教師が作成することが必要になる(こうして構成された単元およびその学習材を「学習パッケージ learning package」と呼ぶことがある)。先に触れたように、この学習の特徴の一つは、単元毎に複数のコースを設けることにある。よって、この単元全体の構成には、a.複数のコースを含む単元計画、b.学習材づくり(子どもたちが書き込みをしながら進める学習カードや、それに取り組むためのヒントカードなど)、c.学習環境づくり(掲示資料・展示物の作成・設置など)が含まれる。
a. 単元構想
 単元構成においては、まずどの単元をこの方法で実施するかを決める必要がある。一般に、この学習では、個人差が現れやすい手作業的な活動が多いものや、創作的な活動を含めやすい単元が向いているとされる。また、一定の時間数を子どもに任せることで、ある程度自分なりの「見通し」を持って計画を立てさせることに意味が生じ、自分なりに学習を深めるための追究活動にある程度じっくりと時間を費やすこともできるようになるので、8-12時間程度の単元を選ぶのが標準的である。
 実施する教科と単元が決まると具体的に単元計画案の作成がスタートするが、そこではまず複数のコースを設定する。ここで最初に参照すべき最も重要な資料は、該当教科の学習指導要領解説と複数出版社の検定教科書である。学習指導要領解説は、単元目標、内容の取り扱いや指導事項、活動例などを丁寧に再確認し、その単元で最低限達成されるべき目標を明確化するために参照する。それと同時に、必ず複数の教科書を比較検討する。該当単元に関して、自校採用の教科書に含まれていて、別の出版社の教科書には含まれていない事項があるとすれば、それは、学習指導要領上最低限必要とされる内容ではない可能性が高いことがわかる。くわえて、複数のコースを組み、その学習材に関するアイデアを豊富化していく上で、自校採用教科書以外の教科書から大きなヒントを与えられることも多い。
 さて、コース設定の複線化は次のような手順を基本とする。まず、標準的なコースとして、教科書準拠のコースがある。すなわち、自校で用いている教科書の流れにほぼそのまま沿う学習カードが作成され、子どもたちは、主として、このカードの指示や問いに従って教科書を順に読み進め、教科書の内容や活動をフォローしていくことで、学習を進めて行くことができるようなコースである。それに対して、教科書の流れとは異なるコースも設定する。たとえば、教科書では、何らかの原理を理解してから、あるいは、特定の知識を理解した上で、ものづくりなどの制作的ないし創作的活動に入るという流れになっているところを、単元の冒頭から、制作的ないし創作的活動に入ることで、原理的思考や知識習得へと動機付け、その上で、教科書的な文字情報による学習に導くようなコースが考えられる。また、教科書よりも、さらにスモール・ステップの発問形式を採用したコースを設けるという方法もある。他方で、反対に、よりオープンで根本的な課題を与え、自らの試行錯誤によって、目標とされる理解に向かおうとするように仕向けるといった単元構成も考えられよう。いずれにせよ、こうした複数のコースは、どのコースであれ、学習指導要領上最低限身につけることを要請されている項目が必ず含まれるように、また、多様な子どもの特性や持ち味に応じて、それを生かすように、様々な仕掛けを施して構成する。
 このコース設定の作業において、特に我々が重視しているのが次の2点である。第1に、このコース設定やその運用に関する企画を、学年団等の教員チームで進めるということである。第2に、その企画過程で、子ども「たち」ではなく、具体的な一人一人の子どものことを強く意識するということである。「〜が得意な子どもと不得意な子ども」という集団的表象に留まらず、「…クラスの○○さん」という一人一人の子どもの名前を上げながら、「こんなコースにすることで、あの子が生きてくるはずではないか。だから、こんなコースをこう設定しましょう」といった協議を教員チームで積み重ねることになる。子どもたちの姿や声を「束」としてではなく、「固有名詞レベル」で振り返り、その子が活きる要素を織り込んだコースをチームワークで考案するのである。
 ところで、単元構成には、複数のコース設定以外にもう一つ重要な仕事が含まれている。コース学習は、その単元で最低限押さえるべき指導事項について学習する部分だが、その先に、自由に選択できるいくつもの発展学習を準備する。魅力的かつ価値のある発展学習を用意することで、子どもがコース学習を効率よく終わらせ、さらに学びを深める機会を手に入れようと動機づけられることにもなりうる。
 では、そのような発展学習はどう準備されるのか。一人一人の子どもの特質・持ち味を考えつつ、教師陣がチームワークで企画することはコースづくりと共通だが、発展学習では、教師陣が様々な資料や情報を渉猟しながらも、自分たちの想像力・創造力を駆使して、子どもの興味関心を生かすと同時に拡げられるような内容や、一斉授業では実施が難しい作業、教科書では扱われていない追究的な活動等々を用意することになる。他方、単に、より難易度の高い問題集を用意したり、その子どもが最初に選択したのとは異なる別のコースをもう一つやってみることを認めたりするという選択肢も、発展学習の一つとして用意することがある。 
 最後に一つ補足すると、きわめて逆説的なことだが、一般受けを狙ったコースや発展学習が案外多くの子どもを生かしきれず、反対に、固有名詞レベルのピンポイントで特定の子どもに狙いを定めた仕掛けの方が、かえって多くの子どもを学習に惹き付けるということが、これまでの経験で見られてきた。その点で、普段からの深い子ども理解が優れた単元構成の基盤になることは間違いない。
b. 学習材づくり
 コース設定が決まると、各コースに合わせた学習材づくりが開始される。その学習材には、各コース毎に準備されるものとして、(1)子どもが各コースについて単元全体の見通しを持てるように作られた「学習の手引き」、(2)子どもが選択したコースに沿って学習をどのような順序・進度で進めて行くかを明記した計画表と、その計画通りに進められているかという点を含めて各授業後の感想が書けるようになっている「学習計画表・振り返りカード」、(3)子どもが書き込みながら学習を進めて行くことになる「学習カード」、(4)その学習カードを進める上での支援的役割を果たす「ヒントカード」、さらに、(5)これらのカードと連動した各種資料(図鑑・図録・マンガ・絵本を含む各種書籍、視聴覚資料、実物資料、様々な器具・用具など)が含まれる。また、ゲスト・ティーチャーを招くこともあるので、このような人的資源も、また次節で述べる各種学習環境の大半も、広義には学習材の一部となる。
 担当教員チームは、設定したコースにおける子どもの自立的な学びが充実したものになるよう、これらの多元的・多層的な学習材を整合的に結びつけて構成する必要がある。中でも、我々の経験によると、これらの学習材作成の中で最も重要でかつ苦労を強いられるのは、学習カードづくりである。たしかに、「学習の手引き」は、そのコースにおける学習へと子どもをいざなう動機付けの役割を担う重要な位置づけにある。が、その手引きに、子どもを十分に惹き付けられるような明快かつ魅力的な前口上を入れるには、一定の確信を持って作成された学習カード本体が不可欠になるからだ。また、学習カードの出来がよければ、教師が直接教え込まなくても、学習カードの指示に依拠し、学習環境との相互作用の中で、子どもが従事した学びを展開する可能性が高まるからである。
 教科書準拠コースの学習カードは、一斉授業において、教科書の流れに沿って、教師が子どもたちに向けて口頭で行う指示や発問を徹底的に明確化・整理した上で、それを文字にし、一区切り毎のプリントに落とし込んだものである。子どもたちは、カードの指示にしたがって、教科書を参照しながら、様々な学習活動(実験・観察、製作・創作活動などを含む)を展開し、カードに示された問いの解答を作成して、一枚一枚のカードを仕上げて行くことで学習を進めて行く。
 他方、教科書準拠コースと異なるコースの学習カードに関しては、単純な作成パターンを示すことはできない。教科書準拠以外のコースをどう設定し、その学習カードの内容をどう組んで行くのかは、各担当教師、あるいは、学年団などでチームを組む教員陣のまさに腕の見せ所である。が、若干の例を挙げると、自校採用の教科書よりもオープンかつ根本的な問題解決過程を経験させるようなコースの学習材として、算数や理科で、その単元で習う新たな公式や実験方法を、子どもたち自身が、それまでの既習事項を前提に、試行錯誤によって自ら導き出すような課題を設けた学習カードを準備するという方法がある。それは、子どもを小さな数学者や科学者に見立てて、最も深い思考に誘うような一連の流れを準備するというやり方である。また、社会科で、歴史上の人物が学習カードに写真や絵入りで登場し、その吹き出しセリフとして、直接、現代の子どもに語りかけるような設定を凝らし、その単元で考察して欲しい課題、調べて理解して欲しいことを、その人物らしく語りかけたり問いかけたりするような発問形式を用い、その課題の解決や調べ学習に、教科書その他の資料を駆使せざるをえなくなるような学習カードを作るといったやり方も考えられる。他方で、自校採用教科書の該当単元にはない手作業的な活動やものづくりなどを織り込んだ学習過程を含むコースの学習材として、国語科の物語単元などで、その主人公の名前を出し、「〜さん(主人公)に手作りのプレゼントを送ろう」という目当てを掲げ、そのプレゼントの説明を含んだ、その主人公への手紙を作成させるといった課題を含む一連の学習カードを準備するというやり方などもあり得よう。
 このようにオリジナリティ溢れるカードを準備することは、教科書を新たに編むに近い作業でもあるので、創造的活動に必然的に伴う苦労がある。が、だからこその楽しい作業にもなり得る。同時に、教師は、中心教材(=教科書)を与えられ「使う」という立場だけでなく、それを「作る」のに近い立場に身をおくと、検定教科書編集上の細部にわたる工夫や意図がより深く読み取れるようになり、多くの英知や技を結集して編集される検定教科書の質の高さを実感できることにもなる。
 他方、教科書準拠以外のコースの学習カードを作成して行く時に、より単純簡明な方法として、我々が頻繁に採用している方法がある。一つには、教科書準拠以外のコースでも、そのうちの何枚かの学習カードは教科書準拠コースと同じカードを用いるという方法がある。実際、教科書準拠コースとさほど大きく変わるところはないが、学習内容や活動の順序を教科書準拠コースと入れ替えただけというコースの組み方も考えられる。また一つには、教科書準拠コース用のカードの何枚かを部分的に改編したカードを用いる方法がある。つまり、教科書準拠コースと、学習順序・活動順序にさほど大きな変化はないが、その内容に、難易度を含む若干の変化をつけたものである。
 これらを考えると、基準となるコースとしての教科書コースの学習カードが、丁寧に作成されることが重要な意味を持つことが分かる。検定教科書には「教師用指導書」が発行されているので、教科書準拠コースの学習カード作成は、さほど難しく思えないかもしれないが、我々の経験では、この作業にもいろいろな工夫や苦労を要する。特に、どの子どもが読んでも、その意味するところが、子どもの頭の中ではっきりとした像を結ぶように、明快かつ適切な指示や発問を準備するのは苦戦を強いられる。口頭による指示・発問では、言い直したり、言い足したりすることが可能だが、学習カードではそれができない。指示や発問の設計とその言葉選びは、学習カード作成上の鍵である。また、子どもたちが取り組む手作業に関しても、その作業手順を子どもが理解できるようにするために、適切な図や画像の挿入などに難儀することもある。くわえて、見やすいレイアウトに腐心することにもなる。
 よって、こうした作業も、教師個人としてのみならず教員チームとして取り組むことが大切である。つまり、ある教師が叩き台として作成した学習カードを、チームを組む他の教師に見てもらい、問題の解答例を作成してもらったり、発問や指示に関する感想を述べてもらったりしつつ、互いに改善案を出し合うなどという手順を踏まえることが必要になる。こうしたチームワークが、教員集団全体の教材・授業の理解や、教員同士の相互理解を深め、実践の質を高めることになるのである。
c. 学習環境づくり
 ここでいう学習環境の構成物には、単元名を示したパネル、学習上のヒントやアドバイス掲示、学習過程で用いる器具・用具や材料、拡大判の図版・地図・写真などの資料や各種図書等、あるいは、実物・模型展示、子どもによる思考・表現の成果を紹介・共有するための掲示板などがある。この学習においては、子どもたち自身が「自立的に学ぶ」という形式を基盤とするので、必然的に、教師による直接的な指示よりも、予め準備・構築された学習空間による、子どもたちに対する間接的な動機付けや支援を軸に、子どもの学習が成立することを目指す。教師には、子どもが興味・関心を引き起こされ、学習活動を楽しんで、持続的に進められるような、さらに、その学習に関する子どもの理解が深まったり、広がったりするような仕掛けを縦横に張り巡らせた学習環境を構築することが求められる。
 こうした学習環境が目指すのは、その単元に関する一大「学習ワールド」を出現させることである。たとえば、算数の図形単元であれば、教室・廊下・オープンスペースなどの壁・窓・天上・床をあらゆる方法で駆使して、「図形学習ワールド」を作り上げるわけである。天上からは学習する図形をあしらった単元名掲示を吊るし、子どもの目の高さの壁にはその図形の性質が一目でわかるパネルや図形クイズなどを、共有スペースの真ん中には、学習カードのヒントとなる情報が視覚的にわかりやすく示された立て看板的なパネルを設置し、いくつかのテーブルには様々な図形遊び体験のためのパズルやタングラムを、その横にはタングラムの出来上がり例の拡大コピーを、さらに、窓にも縦横にテープを張り巡らせて構成される図形模様を、くわえて、別の壁面には子どもたちが作った図形的製作物が貼り出されて行く巨大な台紙を、棚には図形にまつわる様々な図録や絵本などの紹介コーナーを、というように、その学習空間の学習情報密度を客観的にも主観的にも飛躍的に上昇させることで、教師の直接的指示が極小化されても、子どもがその環境との相互作用によって、そこでの自立的学習の充実度を極大化できるように環境構成が行われるのである。それは優れた幼児教育現場の環境構成と多くの類似点を持つ。そこでは、単に平面的な掲示だけでなく、より子どもたちの目を引くような凹凸のある、あるいはダイナミックな三次元の構成物を含む様々な掲示やコーナーが、色彩豊かに、かつ、学習に最適な子どもの動線が確保されるようなレイアウトで配置することが目指される。

(2) 単元内自由進度学習の方法的側面=実践上の留意点

 実践上の留意点は、当然ながら、まずはこの学習の目的・目標から直接導き出される。その目的・目標とは、上述のように、「個に応じた」あるいは「個を生かした」学習指導・学習支援の可能性を拡げること、また、「自己学習力」を身につけられるようにすることであった。
 したがって、第1に、子どもが他の子どもに迷惑をかけたり、共有財産としての学習材や道具を手荒に扱ったり、使用したものを元通りに片付けなかったりというルールが破られない限り、子どもたちの学習活動に対する教師による直接的な指導や支援をできるだけ控え、教師は、授業中、子どもの様子を見取り、それを記録し、見守ることの方に重点を置く。一斉授業・集団学習では、一定の学習速度やペースが全ての子どもに共通に当てはめられることになりがちで、自分の机について一定の姿勢を保つことも要求されるが、この学習では、授業中、少々の停滞・沈滞や間違い・失敗があっても、すぐに介入せず、その子ども固有のペースや学習スタイルを尊重することを原則にしている。というのも、子どもによっては、やり始めのペースがゆっくりでなかなか進まず、支援が必要に見える場合でも、ひとたびスイッチが入ると、集中してどんどん自分の学習を進めていくという場面が見られるからである。あるいは、学習をサボっている子どもも、傍で集中して黙々と進める他の子どもたちを見たり感じたりして、それに刺激され、自ら一念発起して実質的な学習活動に復帰するという場面も見られるからである。
 また、この学習では、何かの必然性がない限り、机につく姿勢を正させることもしない。子どもによっては、椅子に座らず、机の前に膝断ちで、時には、立ったまま、あるいは、地べたや低いところに教材を並べ、あぐらをかきながら、それでも学習には集中しているという場面は多々見られる。人に迷惑をかけなければ、公共財を丁寧に扱っていれば、そして、実質的に学んでいれば、原則「好き勝手」が許される。途中で集中力が切れて作業が進まず、徘徊したり寝ころがったりする場合でも、他の子どもを妨害しない限り、また目に余るということがない限り、「適度な自主休憩」さえ容認する。そうした停滞や沈滞があっても、大部分の子どもは、自分の学習へと戻る場面が多く見られるからである。もちろん、目に余る場合には、その子どもに合わせて即時支援や事後指導を行うことになるし、この学習の経験の浅い学年などでは、教師による助言や支援をやや厚くするが、基本的に、子どもたち自身が課題を自分で乗り越える契機を大切にする。ただし、与えられた時間内で最低限のコース学習が終えられない場合には、宿題や居残りというかたちで補充学習をしなければならないことは、予め子どもたちに伝えられている。
 第2に―これは第1の点と繋がるが―この学習では、子どもたちが教員に支援を求めても、教師は、できるだけ子どもが自分で解決しようとするように促す。そこでは、子どもたちに自由には責任が伴うことに身をもって気づかせ、学ぶ楽しさとともに学ぶ苦労も経験させたいという意図がある。たしかに、その場で分厚い支援が必要な子どももいるので一概には言えないものの、基本的に、教師は、子どもに質問されたり頼られたりした時には、その子どもに対して、学習カードや教科書を開いて再度よく確認することを励ましたり、ヒントコーナーやその他の学習材を利用することを勧めたりすることで、子どもが自立的に課題に取り組み、解決する場面を増やすことを心がける。
 第3に、多様な子どもの視点・思考の共有という側面が、この自立的な学習では軽視されると批判されることがあるが、この問題への対応について述べておきたい。たとえば、学習カードの指示によって、あるポイントに関する子どもの感想や意見を付箋で貼り出すコーナーを設けると、普段の直接的な意見交換の場では積極的な発言が見られない子どもが、そこに何枚も自分の考えを書いて披露するということがある。さらには、人の意見を聞きましょう、と直接指示しても、なかなかそういう指導が通じない子どもが、授業中だけではなく休み時間にも、その付箋に書かれた友達の考えにじっと目を通しているという場面が生じる。
 くわえて、協同学習と呼ばれる方法論では、協同的活動がそれ自体目的として織り込まれる計画が立てられることになるが、その点で、協同学習が教師によって仕組まれるわけだが(そして、その重要性は強調されてよいが)、単元内自由進度学習では「自然発生的/自発的な協同性」を重視する。子どもたちは、それぞれ自立的に学習を進めていても、様々な場面で、時には意外な子ども同士の間で、お互いの学習活動について意見を交換したり、互いに相談・助言したりする場面が見られる。その点で、このような個別の自立的な学習の中でも、意味のある協同性が育まれる可能性が充分にあると見ている。
 第4に、この学習で教師は、その子どもの活動を肯定的に価値付けることができる場面を見いだし、その肯定的評価を子どもに返すことを心がける。この学習では、子ども一人ひとりの自立的・個性的な活動の中に、できるだけ「いいところ」を見出し、適切なタイミングで(手段としてのみならず)実質的に「褒める」ことができるようにすることを旨としている。特別な支援を要する子どもの一部を含めて、通常の一斉授業では要求される秩序に収まらず、否定的評価を受けることが多い子どもに対しても、この学習においては特に、できるだけ肯定的に捉え、その自尊感情が掘り崩されないように配慮し、その子どもが、自らの失敗や挫折と向き合いながら、試行錯誤を通して課題を解決していけるための、そして、自己を肯定的かつ批判的に捉えることができるようになるための基盤づくりが目指される。その意味で、この学習においては、いわゆる「個人内評価」により重要な位置づけが与えられる。
 第5に、ここまでの留意点と一見矛盾するように見えるような柔軟な対応を、局面によっては取ってよいということも確認している。たとえば、学習カードの文言の思わぬ不備などから、子どもの間に無用な混乱が生じたり、過度の停滞が生じたりした場合には、自由進度学習の途中でも一斉指導を入れ込むという禁じ手も否定しない。現場での具体的な実践には、いろいろな要因が複雑に絡みあって、生じた問題の原因を常にすぐに明確に理解できるわけではない。しかし、そこで生じている事態に大きな問題を担当教員がチームとして感じるとすれば、その原因の追究の前に、あるいはそれと同時に、まずは問題となっている事態への具体的な対応を教師陣は求められるからである。
   

4 単元内自由進度学習の研究授業と事後検討会

 この研究授業の第1の特徴は、その指導案において「本時」という枠組が存在しないことである。一般に、単元内自由進度学習の研究授業の場合には、子どもたちによって、選択したコースや学習のペースも違うので、本時の指導案というものが意味をなさない。よって、この学習では単元全体の指導案のみが作成される。その研究授業は、コース別の学習が開始されて、子どもたちの自立的学習が本格化して行く単元中盤から、発展学習に取り組んでいる子どもが多く現れる単元終盤に設定することが多い。
 他方で、この学習でも、本時という枠組を伴う時限も存在する。それは単元当初のガイダンスと単元最終のまとめの時間である。これらに関しては、学年ないしチームを組むクラスの子どもたちを一斉に集めて行われるので、本時の指導案を作成し、時系列的な活動計画の詳細を明記した指導案を作成する。ガイダンスでは、子どもたちを今後の学習に動機づけ、設定した各コースの特徴をよく理解して、子どもたちがそれぞれ選択コースを決定できるように、また、発展学習を含めた単元全体の見通しを持てるように、単に一方通行的なコース解説に終始しないという点を含めて、教師陣が様々な工夫を施す。最後のまとめの時間では、クラス全体で様々な視点や考え方などについて共有する機会がほとんどない単元内自由進度学習であるだけに、そこで共有しておきたいポイントや、全員で重点的に確認したいポイントを扱うことが重要な目的の一つとなる。同時に、この単元で子どもたちが取り組んできた学習活動やその成果・作品、子どもが示した学びの姿や声を、全員の前で、教師が適切に価値付ける重要な「評価」の機会でもある。これらガイダンスやまとめの時間も、この学習の重要な一要素なので、一定の経験を積むようになった段階で研究授業として設定してもよいだろう。
 第2の特徴として、研究授業における授業者と参観者の視点や動き方に関する点が挙げられる。一斉指導と異なり、授業者の側は、子どもたち全員の前で発問や説明をすることはないので、子どもたち一人ひとりの学習状況を、できるだけつぶさに把握すること、必要に応じて最小限の適切な支援を行うことを、安全面の確保とともに心がけることになる。
 他方、参観者も、この研究授業では、ひとり一人の子どもの具体的な学びの姿を見とることが最も重要な目的になる。その際に、典型的な参観方法として次のようなやり方が考えられる。一つには、学習スペース全体を歩いて全体を見渡した後、特定の子ども(たち)に焦点を合わせて、その子どもを追って観察するという方法である。その子どもが、どのような時間帯に、どのような進み具合や停滞を示しているのか、何に関心を示し、何に困っているのか、どのような子どもと交流し、どのような学習材や環境の活用の仕方をしているのかを、ミクロに見て行くのである。その際重要なのは、表面的な子どもの行動記録だけでなく、できるだけ子どもたちのつぶやきや声を詳細に拾い、むしろ、そこでの思考・内面を推察しながら観察することである。また、一つには、ある場所で定点観測するという方法もある。特定のコーナーに、どのような子どもたちがやってきて、そこをどのように活用しながら学びを展開しているのかを観察するのである。さらに、特定の授業者を追うことで、この学習における授業者の視点や、子どもへの支援の仕方、それに対する子どもの反応などを観察するという方法が考えられる。実際には、これらを適宜組み合わせて授業を参観することになろうが、いずれにせよ、子どもの学びのあり方を、固有名詞レベルで分厚く追うことが基本になることは間違いない。この点は、単元内自由進度学習に限らない重要な点だが、この学習ではとりわけ不可欠な見方である。
 この種の研究授業の特徴として、最後に、次の点を掲げておきたい。すなわち、この授業では、あくまで「単元」こそが、その基本単位であるということである。単元とは、英語で言うunit、つまり単位のことなので、これは当然のことでもある。どのような方式の授業でも単元計画を作成する以上、この点に変わりはないはずだが、多くの研究授業に接して言えることは、「本時」には相当の労力と時間をかけた準備が行われ、それに関する議論もなされるものの、授業者も参加者も、本時にのみ強く意識が向きすぎて、単元全体での子どもたちの学び・育ちという視点や考察が十分でないという印象を持つことが少なくない。単元内自由進度学習の研究授業では、単元全体を通して、その子が充実した学びを展開して行けたかどうか、あるいは、最低限の目標を達成することができたかどうか、授業者の狙いが単元全体で達成されたかどうかといったことに着眼点が置かれる。
 こうした特徴を持つ研究授業の後に行われる検討会も、その特徴に対応した内容を持つものとなる。何よりもまず、検討会の話題の中心は、子どもの具体的な学びの姿や声であるということである。毎年多くの教師が参観に訪れるような公開研究会を開催している公立小学校での検討会は、まさに徹底して固有名詞を挙げながら、その子どもが、普段はどんな子どもで、どのような興味関心・思考様式・行動様式の持ち主で、その子どものことを授業者がどのように感じているのか、そこでの学習でどのような学びがその子どもに生じることを狙っているのかという点を確認しながら、その研究授業時におけるその子どもの実際の学びとその意味について振り返るということが行われている。その意味では、単元内自由進度学習だけではなく、集団学習や協同的学習においても、検討会における議論の中心軸を具体的な一人ひとりの子どもに置くという観点は、より注目されてもよいだろう。
 

5 まとめにかえて:ルーツとしての二教科同時進行単元内自由進度学習とその意義

 意外に思われるかもしれないが、実は、単元内自由進度学習は、日本では「二教科同時進行単元内自由進度学習」として始まった。今から30年以上も前、日本のオープンスクールの草分け、愛知県東浦町立緒川小学校で当時米国留学から帰国したばかりの教育学者加藤幸次の指導・助言を受けつつ、同校研究主任成田幸夫(現岐阜聖徳大学教授)を中心にこの学校で開発され、週間プログラム学習(週プロ)と呼ばれていたのが、この方法論であった。
 では、いったい二教科同時進行とは何か。たとえば、算数10時間と社会10時間の単元があるとすると、各々の教科に複数コースと発展学習、そのための学習材及び学習環境を整備し、合計20時間について、子どもたちは自分の選択したコースに沿って計画を立て、その計画が担当教師に認められたら、その計画に沿って学習を進めて行く。各教科単元に割り当てる時数も、極端なものでない限り、子どもの見通しに基づいて自由に決めることが許される。算数は得意なので8時間で終えられそうだが、社会には12時間費やそうとか、あるいは、算数は好きなので思い切り発展学習に費やしたいので12時間、社会はあまり好きではないので最低限のコース学習を8時間で終えることにするという計画も許される。もちろん、学習指導要領上、各教科とも年間最低授業時数が定められているので配慮が必要になるが、その学校での年間授業日や授業時数が最低基準よりも多めに実施されていれば、こうした法律上の問題に抵触することは皆無である。各教科に割り当てた時数の具体的な配列例としては、算数と社会を1時間づつ交互に進める子どももいれば、算数2−3時間の次に社会2−3時間という計画を立てるとか、あるいは、算数を10時間連続で終えてから、社会を10時間続けるという子どもも見られる。
 ところで、この二教科は、相関カリキュラムやクロス・カリキュラムのような関係にあるわけではなく、合科関連指導のような視点は含まれていない。むしろ、文系科目と理系科目などのように、互いの学習の性質の違いがある程度際立って、子どもの得意不得意もある程度分かれるような教科目・単元を組み合わせるようにすることもある。その方が、子どもたちが自立的に学習を進める上で、得意だったり好きだったりする単元における学習の充実度や、その学習を楽しみにしている気持ちが、そうではない方の単元の学習に肯定的に影響することが期待できるからである。実際、子どもたちは、好きな教科や得意な教科の方の学習で充実感を味わうことで、その勢いをもう一方の学習に持ち込んで、「意外に自分は、こっちの教科も進められた」という感想を示す子どもも少なくない。また、他方で、おいしいものを後に残すように、好きな学習を後でたっぷりやりたいので、好きではない方の教科を、チェックテストに合格するように速めに頑張って進めるという子どもも見られる。
 したがって、二教科同時進行単元内自由進度学習における両教科間には、必然的な結びつきがある必要はなく、むしろ、その方が子どもの多様性を生かす可能性が増す。むろん、合科関連指導やテーマ別単元学習の重要性は強調されてしかるべきだが、二教科同時進行単元内自由進度学習はそれを目的としたものではなく、もしそうした学習をカリキュラムに組み込みたいということであれば、緒川小学校がそうであったように、別枠でカリキュラムを構成し、実践することができよう。実際、緒川小学校では、この週プロ(二教科同時進行単元内自由進度学習)を含む合計6つの学習プログラムを設定し、個と集団(協同)や、今でいう習得と活用・探究、系統性と総合性といった座標軸間の均衡を図ったカリキュラムがデザインされていたのである。
 ここに紹介してきた子どもの自立的な学習に基づく教育方法論は、さらに遡れば、アメリカ合衆国における有名な進歩主義的教育実践であるウィネトカ・プランやドルトン・プランに行き着くと考えられる(後者は、特に今で言う教科センター方式のルーツである)。それらで模索されたのは、子どもたちが受け身的な学習に終始する集団主義的な一斉指導に対する代替案であった。
 将来の民主主義社会を担う子どもたちは、重要な意思決定において何らかの権威や他人に頼るというだけに終始せず、自立的に判断し、その上で他者と協同して問題を解決していける力を身につける必要がある。上位機構やエリートと呼ばれる人々に任せて、我々が思考停止に陥ることが、どのような悲劇を生むことになりかねないかということは、最近この日本で大きな痛みを持って感じてきたことではなかろうか。
 さらに、ポストモダンと呼ばれる飛躍的に流動性の高まった社会においては、いま必要とされている知識・技能が十年後二十年後も同様の価値を持ち続けるとは限らず、反対に、新たに重視される知識・技能の出現が常態化する。このような社会は、時に知識基盤社会と呼ばれるが、それは多くの知識を獲得することが求められる社会という意味ではなく、新たな知識が社会のあらゆる分野で飛躍的に重要性を増す社会を意味する。とすると、そこで子どもたちが身につけるべき能力とは、教師に習得するよう指示された内容を指示通りに習得し再現できるというだけでなく、自らの思考と判断に基づいて新たな事について学ぼうとし、新たな局面において、その時点で持っている自らのリソースを活用して、必要に応じて他者と協同しながら、問題を解決していけるという類いのものであろう。こうした理念こそ、PISA などで探究されていることでもある。上記のアメリカにおける教育実践は、その先取り、嚆矢と考えることができる。
 このように、生涯学習が求められる時代には、自発性や意欲の持つ意味がより増すことになるが、外からの強制や圧力(命令や受験など)がなくても、自らすすんで学んで行こうという姿勢を保つことができるためには、そうした学習が楽しかったという経験と、時に苦労や失敗や挫折を経た上でそれを乗り越えてきたという実績とが不可欠になる。だからこそ、ここで紹介してきた単元内自由進度学習の実践において、一人ひとりの子どもが学習を楽しいと感じられるように工夫し、子どもが自由を与えられて経験する楽しさのみならず苦しさをも意味のあることとして、その子の成長に活かしていく道を探ろうとするのである。
 最後に、我々は、この自立型学習としての単元内自由進度学習によって、個の孤立化を是としているわけではない。むしろ「開かれた個」をこそ念頭に置いている。が、日本の学校文化には、集団性、「みんな一緒」性に過度に比重を置く傾向があるのではないかという批判的認識が我々にはある。その意味でも、ここに紹介した方法論の意義は、やはり大きいと言えるのではないだろうか。

<参考文献>

  • 愛知県東浦町立緒川小学校『個性化教育へのアプローチ』明治図書、1983年
  • 加藤幸次監修・愛知県東浦町立石浜西小学校編『子ども・保護者・地域を変える多文化共生の学校を創る―「理想は高く、現実に絶望しない」教師集団の実践』黎明書房、2009年

※本研究は、文部科学省科研費(課題番号:21530894)の助成を受けたものである。