新学習指導要領の「見方・考え方」に関して

 先日参加したさる研究会で、いわゆる「見方・考え方」について、中教審のど真ん中にいると言っていい研究者に批判的な質問した。"見方・考え方=「(ブルーナーの言った)ディシプリンの構造」"という図式で言われているのなら理解できないこともないが、「総合的な学習の時間」にまで「見方・考え方」ってありえなくね?と。だって、総合的な学習の時間は、そういう特定の見方・考え方がないところにこそ存在意義があるのだからと。

 そうしたら、少なくとも部分的に、どう跳ね返されるのかなと思ったら、全く全面受容。「その通り。"総合的な学習の時間"にも見方・考え方?、なにそれ?ってことで"特別活動"はどうするの?尋ねたくらい。この辺は今後の課題。」という、しごくまっとう、かつ誠実な回答。

学習指導要領を無批判に読むとろくなことはないが、批判的に読む余裕が現場にないとしても、金科玉条のようにそれに服従させようとする教育委員会や校長がいたら、全て偽物であることは、上記のエピソードだけでも確定。

なお、直接関係ないけど、T大附属小の道徳教育専門の先生が、あの「別葉」について、さる研修会で受けた「あれって意味あるのですか?」という質問に対して「無意味」という趣旨の回答をしていたことも銘記されるべき。あたりまえだけど。