仕事で書いた小文⑥:図書紹介を兼ねた卒業生(教職課程履修者)向け挨拶文 [2021年度]

 以前も同様の小文をアップしたことがある。昨年度はアップするのを忘れていた模様。本務校の教職・学芸員課程センターでは毎年度末ニューズレターを発行していて、その部署の責任者として、冒頭に挨拶文を書かなければならないのだが、最近は、図書紹介も兼ねている。今回は、STEAM教育について少しだけ書いた。

 脱稿した1月初旬の時点では、ウクライナ問題はまだ今のような事態として立ち現れておらず、全く触れていない。パンデミックだけでなく、ロシアによる侵攻によって、時代のフェーズが大きく変わるような事態が相次ぎ、本当はそうした新たねフェーズにおける教育の問題を考えるべきなのだがまだ何か書ける状態ではなく、もっと勉強が必要だ。

 以下、書影は全てリンクになっていて、クリックすると密林に飛ぶので、あしからず。

 

---------再録開始---------

 

教職に就くみなさん、教職を目指すみなさんへ

教育時事と若干の図書紹介とともに

 

 今年度も、教員採用試験に合格し来年度から教職に就くことが決まったみなさんを祝し、そうした卒業生や本学教職課程関係の先生方からのご寄稿も得て、このニューズレターを発行できることを担当部署責任者としてたいへんうれしく思います。近年はリーマショック後に比べるとやや経済が持ち直し、大学生の一般企業就職が比較的順調に推移してきたことで、また、教職の実態に見られる過酷さが問題視されることが多いという状況も影響したためか、教職履修者や教員志望学生がひと頃に比べると減少傾向にあります。そのような中で、いろいろな迷いや困難を乗り越え、来年度から晴れて教壇に立たれることになったみなさんには、改めて声を大にしておめでとう!とお祝い申し上げたいと思います。

他方で、これも毎年触れていることですが、残念ながら志望を十全に叶えられなかった方もいます。これまでの大きな節目でほぼ成功体験しかなかった方には、それはとりわけ大きな痛みを伴うつらい経験かもしれません。しかし、そのような挫折の経験は、実は教師にとっては図らずも大きな財産にもなるという点を強調しておきたいと思います。自らが学校現場で支援・ケアすることになるもっと若い人たちも、時にそうした困難に直面することがあるからです。その時、類似の経験を持つものだからこそ共感的に接し、自らの経験に基づいた身のある助言ができるのではないでしょうか。私自身も、高校受験や大学受験時のつまずきは、その時の感情の落ち込みを含めて重要な意味を持つ経験になり、そうした負の経験が結局は貴重な財産になりました。ぜひ気持ちの切り替えを図りつつ、粘り強く次を目指してほしいと思います。

 さらに付言するならば、教職を履修して本学を卒業した多くの方々を見ていて感じるのですが、みなさんの人生には、まだまだ大きなターニングポイントが訪れても全くおかしなことではないでしょう。一度教職に就いたからといって一生そのままでいなければならない理由はないですし、逆に、卒業後すぐに教員にはならなくても、どこかで教員を目指すことになるということもあり得ます。あるいは、教職を続けているとしても、何らかの壁に突き当たったり、大きな疑問を抱いたりするということもあり得るでしょう。この種の分岐点やある種の正念場は、当然自分自身のパーソナルな問題として直面するわけですが、こうした局面で重要な意味を持つのが、自分以外の人とのつながりではないでしょうか。悩みや迷いというのは、自分一人で考え込んでいると同じところをぐるぐる回って袋小路に陥ってしまうということもあるだけに、新たなヒントを得たり、自らを相対化したりする上で、豊富な対話の回路を備えているかどうかが大きな違いを生むことがあるように思われます。

課程センターでは、教職に関して必要な時に気軽に相談や情報交換ができるそうした回路の1つをみなさんに手に入れてもらえるよう、毎年2回、本学を卒業した現役教員の方々を含む教職関係者と教職課程を履修している在学生が参加する交流会を催してきました。この交流会をきっかけにSNSアカウントを交換し、相談をしたり相談にのったりというインフォーマルな交流が続いているようです。来年度も、春学期はAll Sophians Festivalに当たる529日(日)の午後に、秋学期は1217日(土)の午後に「教職交流会」を開催予定ですので、ご関心のある方はぜひ今からカレンダーに書き込んでおいていただければと思います。オンラインなのかオフラインなのか、あるいはハイフレックスなのかという開催形式その他詳細に関しては、在学生には学内web掲示Loyolaを通じて、卒業生のみなさんには、課程センターにメルアドを登録していただいている方々にメールでお知らせする予定です。

 

 さて、毎年この機会に、普段の授業で時間がなく取り上げる余裕がないものの、公教育にプロとしてこれから携わろうとしている学生のみなさんや、すでに教職に就かれている方々とも改めて共有しておきたいトピックに触れながら、比較的最近公刊された読みやすい書籍を紹介しているので、今回もさらに紙幅を費やしておきたいと思います。取り上げる本はほんの2冊プラスα(とはいえα>2で、 しかもこのα冊はすでに授業や授業用プラットフォームですでに紹介済みかもしれない)ですが、その2冊のうちの1冊はブックガイド本なので、さらに多くのオススメ本は信頼に値するその著者たちにおまかせしたいと思います。

ここで、図書紹介の糸口として触れておきたい話題とは、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会により取りまとめられ、昨年度終盤の2021126日に公表されたた答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して〜全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学ひびの実現〜」で触れられている“STEAM教育についてです。この言葉は、同答申の「新時代に対応した高等学校教育等の在り方について」と題された節で中心的に取り上げられています。官報告示として法的拘束性を有する学習指導要領とは異なり、その策定に向けた指針となる文書に過ぎないのがこうした答申なので、今後このSTEAM教育の高校教育への導入がどの程度本格化されるのか、現段階では必ずしも定かではありませんが、答申の内容が最終的に学習指導要領に盛り込まれることは当然十分な蓋然性があるだけに、その意味について簡単にでも整理しておくことは無意味ではないでしょう。

この用語は、一部教職課程科目でも解説しているように、もともとSTEMと呼ばれていたものにAが加わってSTEAMになったものです。STEMとは、ScienceTechnologyEngineeringMathematicsの頭文字をとった略語で、STEM教育とは、これら各分野を別個に分離した教科・科目として学ぶのではなく、それらを関係付け、総合的に学ぶ学際的・教科領域横断的な探究的学習領域の設定を意味し、1990年代に全米科学財団(National Science Foundation)により定式化されました。近年はこれにArtAが加えられてSTEAM教育として再編され、その意義に注目が集まってきています。ただし、ここで注意しなければならないのは、このAが単に芸術を意味するのではなく、また単数系のartでもなく、(the) artsと複数形で表現される内容を指すということです。これは要するに、いわゆるリベラル・アーツを意味します。自由学芸、時には、一般教養という日本語も当てはめられるこのリベラル・アーツのうち、STEMに含まれている科学・数学という理系教科を除くならば、ここで特に意識されているのは芸術を含むいわゆる「人文学(humanities)」なのです(cf. De la Garza, Armida, and Charles Travis, eds. The STEAM revolution: Transdisciplinary approaches to science, technology, engineering, arts, humanities and mathematics. Springer, 2018.)。人文学といえば、その代表格として、哲学や文学、歴史学などが思い浮かぶかもしれません。では、もともとSTEMだったものが、なぜA=リベラル・アーツあるいは人文学を含むSTEAMへの転換が標榜されるようになったのでしょうか(ちなみに、かなり話題になったので既読の方も多いでしょうが、初等中等教育課程の基礎となる学問・科学の、つまり「親学問」の歴史に関しては、コンパクトで読みやすい新書ですが密度の高い好著、隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社新書、2018がオススメです)。

STEMという理系分野の教科領域横断的な学習は、端的には産業界におけるイノベーションを支える人材育成に寄与することが期待できる教育のあり方として注目を集めてきました。後期近代になると、前期近代の大量生産、すなわち少品種大量生産(low-mix high-volume production)から、多品種少量生産(high-mix low-volume production)へと軸足が移るようになることにも表れているように、「新しさ」や「差異」というものが持つ価値が飛躍的に高まることになります。一定程度物質的豊かさが達成されると、消費者のニーズは多様化しますし、およそ必要なモノをすでに所有している人々にさらに商品・サービスが購入されるようにするには、今までにない「新しさ」や他との「差異」という高付加価値が重要な意味を持つからです。イノベーションとは、まさにこうした価値を生み出し、それまでにない局面を切り拓くことを意味しますが、それが既製の枠組に収まらない革新的創造であるならば、分離教科型という従来的なカリキュラムの枠組に囚われない学際的アプローチによる探究型学習に期待が寄せられるとしても不思議ではないでしょう。革新的なアイデアや技術は、別々に分かれた個別的領域の中からというよりは、その隙間、あるいは融合からこそ生み出される可能性が高いと考えられるからです。

では、ここにリベラル・アーツあるいは人文学が組み込まれることの意味は、どのように理解できるのでしょうか、それは、イノベーションの方向や方法にもはや「単純な正解は存在しない」という点にあると言えるかもしれません。ここにこそ人文学を組み込むSTEAM教育が脚光を浴びる所以があります。なぜなら、芸術とともに哲学や文学はもともと、単純な正解のない問いを立て、簡単に答えが得られないという見通しの悪い状態に対する耐性を保ち、自己を相対化しつつも、より説得力のある方向に向かって探究を進めるという営為を積み重ねてきたからです。くわえて、従来大別されてきた文系領域と理系領域の融合という側面も、STEAM教育に含まれていると捉えることが可能かもしれません。いずれにせよ、このように、STEAM教育の勃興はリベラル・アーツの再興と軌を一にしていると言えます。近年、本学もその例に漏れませんが、大学で高学年向け教養科目、あるいは後期教養教育が重視されるようになったことも、こうした動向と無関係ではありません。

ただし、ここで注意しておきたいのは、産業上の利益を生みだすイノベーションに資する人材の育成(だけ)が公教育の目的であるわけではないという点です。たとえば、民主主義の危機と言われる事態をどう乗り越えればいいのか、環境・エネルギー問題や格差問題等を含むSDGsをどのように実現していけばいいのかといった諸課題は、私たちが一市民として生きていく上で誰にとっても避けて通れない以上、試行錯誤を通じてこれらの課題を漸次的に解決していくという営みは、全ての人に実質的に開かれている必要があるでしょう。とすれば、民主主義社会を構成する一市民としての、あるいはグローバルな諸問題に直面している一市民としての私たち一人ひとりにとって、そうした単純な正解なく多様な学問分野を横断するような問題に取り組めるようになるための学習機会を得ることが重要な意味を持つことになるでしょう。そのような機会として、人文学的教養をも含む教科領域横断的な探究学習としてのSTEAM教育は、産業上のイノベーションに寄与するという以上の積極的意義を孕んでいるとみなすことができるわけです。

実際、上記中教審答申でも、「STEAM 教育の目的には,人材育成の側面と,STEAM を構成する各分野が複雑に関係する現代社会に生きる市民の育成の側面がある。」と断った上で、「STEAMの各分野が複雑に関係する現代社会に生きる市民として必要となる資質・能力の育成を志向するSTEAM 教育の側面に着目し,STEAMAの範囲を芸術,文化のみならず,生活,経済,法律,政治,倫理等を含めた広い範囲(Liberal Arts)で定義し,推進することが重要である。」と述べています(p.56-7)。くわえて、上記答申は、STEAM 教育がエリート人材育成に偏重する危険性にも自覚的であるようにも見えます。曰く、「学習に困難を抱える生徒が在籍する学校においては実施することが難しい場合も考えられ,学校間の格差を拡大する可能性が懸念される。教科等横断的な学習を充実することは学習意欲に課題のある生徒たちにこそ非常に重要であり,生徒の能力や関心に応じた STEAM 教育を推進する必要がある。」と(p.56)。その意味では、今後公教育へのSTEAM 教育の本格的導入が検討されるにしても、広く市民的教養の形成に寄与する可能性にこそ力点を置くべきであると言えるでしょう。

さて、以上のように、教職関係者にとって看過できないSTEAM教育の動向についてその最小限の内容を確認できたので、そのカナメとしてここで着眼してきたリベラルアーツ、あるいは「教養」というものの現代的意義について視野を広げ知見を深めていくために格好の入門書を2冊だけ紹介しておきましょう。

1冊目は、軽妙洒脱な文体でありながら明晰な筆致で著者戸田山和久氏がぐいぐいと読者を引き込む、その名もずばり『教養の書』と題された本です(筑摩書房2020年)。科学哲学の日本における代表的な研究者である著者は、専門書ばかりではなく、大学生向けの論文の書き方に関するこれも超オススメ本『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』(NHKブックス、2012年)や、最近の初等中等教育における授業研究で時に話題にのぼる「トゥールミン・ロジック」で知られるスティーヴン・トゥールミンがこれについて徹底的に論じた著作の翻訳『議論の技法―トゥールミンモデルの原点』(東京図書、2011年)などでも知られるので、すでによく知っているという方もいるかもしれません。これらに関してはさておき、『教養の書』は、それを読むことで、リベラル・アーツあるいは教養とは何か、教養はなぜ必要か、教養を豊かにするには具体的にどうすればいいか、教養は自らの生とどう関係するのかといった諸点について、目からウロコ体験を伴いながら楽しく学ぶことができるでしょう。同書の元となった文章が出版前に同出版社刊の雑誌で連載されていた頃から耳目を集め、出版後瞬く間に話題の一冊となっただけに、出版社には特設webサイトまで立ち上げられており、目次詳細その他の関連情報の参照や本文の一部試し読みができるようになっているので、ぜひ同サイトを覗いてみことをお勧めします。このサイトからも垣間見えますが、教養バンザイだけではない本書の論調からも、重要な学びの1つを得られるのではないでしょうか。

  

もう1冊ご紹介しておきたい書籍は、山本貴光・吉川博満『人文的、あまりに人文的』(本の雑誌社、2021年)です。これは漫才形式(失礼!)ならぬ対談形式のブックガイドになっています。学生時代の同級生である間柄のお二人です(ますます漫才師っぽい!)が、両者ともその読書量と博覧強記ぶりには舌を巻く在野研究者(大学など研究機関に所属しない研究者)でした。が、山本氏は、ゲーム作家から転身され、立命館大学大学院先端総合学術研究科講師を経て、2021,年度から東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に就任されています。吉川氏は、最近は晶文社で出版編集にも携わり、大学で非常勤講師を勤めながら精力的な執筆活動を展開している常に注目の文筆家です(文庫化された『理不尽な進化 遺伝子と運の間』ちくま文庫、2021は、まさに理系的要素と人文学的要素とが絶妙にアーティキュレートされた「進化論」論で、これも超オススメです)。

 

こうした著者ペアによる案内書なので、非常に幅広い内容の多彩な人文書が取り上げられており、しかも、高校生や大学初年時生にこそ読んでほしいと思えるほど噛み砕かれた言葉で(ところどころ軽妙なボケとツッコミも織り交ぜられながら!)親しみやすく各書への魅力的な道案内がなされています。先に、簡単な正解が得られないことを見通しの「悪い」状態と表現し、そうした状態への「耐性」を身につけられることに、人文学の意義を見出せるという趣旨のことを記しましたが、むしろそうした状態の妙味、楽しさをも味わえる可能性を示唆してくれているところに、ここでドンピシャのタイトルが付されているというだけではない本書オススメの理由があります。くわえて、人文学とか、哲学や文学などと言うと、自分や自分の生きる時代とは縁遠い古典ばかりが話題になるような印象を与えかねませんが、本書は、「古代ローマからマルチバースまで」というサブタイトルが付され、最先端の宇宙論にまで話題が及ぶことからも類推きるように、最新の社会事情や思想的課題を扱う書物も豊富に取り上げられその上、「実用的」人文書と言えるものまで紹介されています。しかし、これでも読書への心理的距離が遠い方もおられるかもしれません。あるいは、たとえ大学生や教職に就いているみなさんがそうではなくても、みなさんが読書に誘おうとするもっと若い人たちにはまだ触手を伸ばしてもらえないかもしれません。そういう方に朗報があります。この著者お二人はユーチューバーでもあり、本書と同タイトルの書籍紹介連載動画が無料で視聴できるからです。この動画が人文書の世界へのとば口になるかもしれません。

このニューズレターが発行される頃は、大学生は春休みでしょうか。いずれにせよ、みなさんの余暇の一部を、ここで紹介した本の読書にあてられてはいかがでしょう。そして、どこかでまたみなさんと再会できたら(といっても、教職履修在学生はイヤでもまた私と顔を合わせなければならない時が来るわけですが)教職に関することだけでなく、みなさんの人文書読書体験に関してもお聞きできればと思います。相変わらず、パンデミックは完全収束まで程遠い状況が続きそうですので、みなさん、どうかくれぐれもお大事に。

---------再録終了---------