ウィーン・アルバン・ベルク弦楽四重奏団フェアウェル・コンサート

minor-pop2008-05-30

 今回は非常にオタクな話題。誰か、こういうオタッキーなファンと盛り上がりたいのだが、なかなか相手がいないので、一人日記で振り返り。
 アルバン・ベルク弦楽四重奏団(ABQ)の解散記念ワールドツアーの日本公演、愛知県芸術センターコンサートホールでの演奏会に行った。このカルテットは、とにかく自分の中では、弦楽四重奏団としては一番の存在なので、20代のころから数えて、たぶん今回が5回目のライヴだ(留学や仕事で他のチャンスもかなり逃している)。むろん、私は楽譜もまともに読めないド素人なのでわかった口は聞けないのだが、これで解散するの?、と思うくらいのアンサンブルに思えた。
 今回のプログラムは、
ハイドン : 「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」 Hob.III:50-56 から序奏
・ベルク : 抒情組曲
シューベルト弦楽四重奏曲第15番 ト長調 D887
そしてアンコールに
ハイドン : 「エルデーディ四重奏曲」から作品76-4 変ロ長調「日の出」第2楽章
であった。アンコール曲以外はしっかり予習を積んで臨んだ。ハイドンのABQによる録音がなかったので、なんとクイケン弦楽四重奏団のCDでの予習だったが。
 ABQを25年ほど前にレコードで最初に聞いたときから、その芯の強い演奏に魅せられてきた。初めて彼らのライヴに行ったのは1987年大阪でオールベートーベンプログラム(4番/14番/9番)だった。鮮烈の一言だった。完璧に打ちのめされた。とくに第1バイオリンのギュンター・ピヒラーの艶がありながら、硬質で透明感のある音色は驚異だ。なんであんな音が出るんだろう。今までライヴで聞いたのはモーツァルト、ベートーベン、シューベルトバルトーク、ベルク、シュニトケ。弦楽五重奏のライヴにも触れた。どれも今も印象が強い。
 今回の発見は、まず、ABQの厳しく情熱的な演奏という印象から離れ、余裕や遊びが感じられたことだった。ベルクは以前ライヴで聞いたのは作品3だから同列に考えられないのかもしれないが、今回の抒情組曲は、そうした厳しさよりも、大げさに言えば、部分的にであれ、踊るような軽やかさが感じられた。意気込んで出向いたのだが、いい意味で期待を裏切られ、この曲の新たな側面を印象づけられた気がする。様々な引用の宝庫という側面を持つこの曲からすると、こうした遊びはその本質とつながるのかもしれない。一言で言うと、軽やかで自由な演奏。そういう抒情組曲だった。
 この抒情組曲の最終楽章は、その前の楽章がある意味で激しい曲調なので、実は私の場合、CDで聞いている限りでは、少し尻すぼみ的な、印象の薄さを感じていたのだが、ライヴで接してみて、そういう印象を持っていた自分を見直さざるを得なかった。印象が薄いどころか、細部まで魅力満載であることを思い知らされた。これこそライヴの醍醐味。そうか、こういう曲だったんだ、という発見。こんなド素人にもそう勘違い(?)させて、喜ばせるだけのABQ。
 同じような体験は他のライヴでもあるが、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニのリサイタルでも、よくこういうユリイカ!的な感覚を惹起させられることが多い。
 こういう感覚をどう若い人たちにも伝えられるか。書物でも、音楽でも、演劇でも、こういう経験って味わってほしいよなあ。などという感想を書くとは、ABQを最初に聞いた頃からすると年を取ったものだと思う。
 それにしても、アルバン・ベルク・カルテットは、もっとライヴで聞いておきたかった。その意味で残念ではある。が、やはり感謝。今後は、CD聞きながらライヴの音を思い出そうと思う。

ベルク: 弦楽四重奏曲 弦楽四重奏のための「抒情組曲」

ベルク: 弦楽四重奏曲 弦楽四重奏のための「抒情組曲」

ベルク:抒情組曲

ベルク:抒情組曲