教育さんのアクティヴィストとしてのお仕事

 晒すかどうかチビ迷ったが、試験問題作成や研究会レジュメ作成の合間に急いで書いたので、どっかなあ?ダイジョウビかなあ?と心配していたところ、送り先からよかったとの反応を得たので、ちょっと気を良くして公開f^^;;)。まあ、このブログは訪問者も少ないので、晒そうと晒すまいとそれほど大きな違いはないかもしれないが...

 この文章は、小生が、現場の先生方の授業実践研究(現職研修)の手伝いをしているある公立中学校の研究主任から、翌年度以降の研修のために、外部講師として、この中学校の先生方全員に向けたメッセージとして何か配付できるものを書いて送って欲しいと頼まれたので、この2年間の現職研修を振り返った上で、今後の課題を整理したもの。

 今、公立の中学校で、こういう外部講師を招いて現職研修としての研究授業とその検討会を定期的に(といっても学期に一度程度だが)開いているところは、どの程度あるんじゃろ。しかも、この中学校は、生徒指導上、かなり大変な状況を抱えてきたところ。そういう学校では、授業研究どころではない、という空気すら漂っている場合もある。

 もちろん、教育委員会の指導主事による学校訪問は、どこの自治体でも必ず行われているはずなので、その際に研究授業とその後の検討会があるので、特別に外部講師を招かなくとも研修の機会はある。その一般的なスタイルは、指導主事訪問日に向けて、何らかの順繰りその他の事情に配慮して、授業担当者が決められ、その教員が指導案を事前に準備して、訪問日前に指導主事に送付し、その指導案に基づいて訪問日の研究授業を行い、放課後、授業を参観した教員や管理職、指導主事とともに授業検討会に出席し、まずは、授業者による研究授業に関する説明、参観した教員同士との質疑応答の後、最後に、指導主事から「御高評・御指導」というかたちで、教材理解や発問・板書を含む授業展開に関する有り難いまとめのお言葉(批評)を頂戴して終了!みたいなパターンが多い。

 自分が3年前にこの役目を頼まれたとき、このスタイルだけはできるだけ避けたいと思った。今までこの種の研修の場を他の学校で見てきて、形式を整える方に注意が払われ過ぎで、後につながるような実質的意義があるとは到底思えない取組に見えたから。幸い、この学校の若き研究主任は、この先生が小学校教員時代にその小学校で関わりがあったので(それで俺が呼ばれたわけだが)、研究授業と後の検討会の進め方に関して、自分の意図と擦り合わせがしやすかった。そこで決めた方法は、当初、ごくごくシンプルで、次のようなものだった。

 研究授業は、生徒がたんに受動的に話を聞いて、ノートをとって、教師の指名に従って発問に回答するというだけで終わるような形式の一斉授業方式だけで最初から最後まで終わることのないように、授業の中に、たとえ部分的でもいいので、個別の、あるいは小グループによる活動を取り入れた研究授業を組んでもらうこと。

 検討会は、授業担当者の授業を直接批評するというよりもむしろ、その授業で生徒たちがどのような様子で、どのような声を発し、どのような感情を持ち、どのような思考を巡らせていたと考えられるか、という議論を通して、つまり、生徒の授業中の姿と声(無言を含む)に関する振り返りを通して、その日の授業の意味を検討するというスタイルの会にすること。その点で、参観者と授業者との質疑応答と、講師によるまとまった指導・講評で終わるという形式ではなく、ワークショップ的に検討会を展開すること。

 こうした方針であった。こうした目論見を実現するために、研究主任と相談して、さらに次のような方法を採用した。すなわち、予めとくに研究授業参観中に細かく観察する生徒をクラスから3人程度(一般には成績や積極性などを規準に、互いに異なるタイプの生徒を)授業担当者に選んでもらい、参観するグループの教員を予め3グループに分けて、各教員は、授業全体や他の生徒にも目を配りながら、その3人のうち自分に割り当てられた生徒一人をとくに詳細に観察し、検討会では、その生徒の授業中のあり方やその生徒から見たその日の授業について、グループ毎に(KJ法的なワークショップの技法も駆使しながら)意見交換し、授業担当者は各グループを回って、その議論に耳を傾け、各グループ代表による簡単な発表の後、全体討論に移り、授業担当者も管理職も外部講師も入り交じって議論するという方法である。もちろん、講師として呼ばれているので、最終的な締めのコメントくらいはするが、それはごく短く簡略で、むしろ、全体討論で出てきたポイントを整理したり、敷衍したりする方向でのコメントをするというものだった。

 研究授業の検討会というと、まあ、授業者がさらし者になって、いろいろ指摘を受けるというのが定番といえるくらいなのだが、我々の採用した方法がいいかも、と思うのは、先生のことより、まず生徒のことを、ああでもないこうでもない、と話し合って、授業者が叩かれる時間があまりないこと(^_~)。いや、叩かれるだけじゃなく、賞賛の嵐ってこともあるだろうけど、まあ、経験者はみなわかるように、授業はだいたい失敗の連続だかんね〜。それはともかく、授業者による研究授業の課題が指摘される時でも生徒の姿や声を根拠に、その理解をすりあわせて議論が重ねられるので、賞賛されても、批判されても、得心が行く議論になることが多いように感じる。

 むろん、「子どもの考察や議論を待っているよりも、こっちが教えた方が早くて効率的だ!」という先生がいるのと同じで、参加されている先生方の議論を中心に展開する検討会では、正直、講師役の自分が、もうちょっとここまで言って欲しいという視点に到達しなくて、もどかしい印象で終わるということも全くないわけではない。しかし、これも教員対子どもと類比的で、手っ取り早いからとある種の視点をポンと与えても、聞き手の先生がたに浸透することはなく、ご高説をたれた本人のカタルシスで終わるだけということもしばしば。これでは、たとえその人がエラく見えるとしても、現場は何も変わらず、よって、授業でかなりしんどい状況に置かれている子どもにとっても、何の改善にもならないということになりがち。だから、まとめの話がスゴく短くなっても、この方式を捨てていない。その分、短い時間でコメントをまとめる集中力は、ときどき鍛えられたかもと思う瞬間も出てくる^_~(←なんや、自慢かい!?)。

 それはともかく、だいたい、自分も現場の経験があるから十分想像できるが、外部講師なんて、現場の事情もわからずに、なんかエラソーに理屈をこねに来るやっかいものに決まっている。この学校の研究主任のように俺を慕ってくれてなどいないどころか、当たり前だが、実感的にはどこの馬の骨ともわからんくせに、丁重に扱わないとマズそーな、できればテキトーにスルーしたい相手である。

 てわけで、最初は、先方もそうだったと思うが、自分も訪問するのは少々気が重かった。当初の救いは校長先生と話が合ったことだった。これは非常に大きかった。外部講師がトップと理念が共有できるかどうかは、その後の研修に決定的な影響を及ぼす。が、俺の勘違いかもしれないが、徐々に、他の管理職の先生やそれ以外の先生とも、共通項が増えていって、相互理解が深まったように思う。たとえ勘違いだとしても、最近は、この中学校への訪問が楽しみになってさえいる。こういう感触は、たとえ幻想でも、間違いなく互いの交流を良好なものにしている(もちろん、まだまだ部分的だが)。

 とはいえ、大変な状況を抱える中学校の先生は、小学校の先生以上に忙しい。生徒指導・部活・受験という、小学校とは比較にならない「三重苦」が、物理的時間を奪い、授業研究への動機付けを掘り崩すことになりやすい。同時に、そういう状況の学校だからこそ、生徒が学校で費やす時間の大半を占める授業を中心とした改善に向けた継続的な取組が、本当に大きな意味を持つことになると思う。てわけで、忙しくされている現場の先生がたのご要望にお応えして、メッセージを書いた次第。

 しかし、俺も忙しい^^;;。だから、今日の午後2時締切と言われていたところ、午後は他の要件があったので、結局午前中の1時間半ほどであまり推敲もできず書きっぱなしで送信した(ここにアップしたのは、少々誤字脱字修正した。これでもね…-_-;;)。という言い訳はしてみたものの、俺は次の仕事に向かわねばならぬのに、なぜか、ブログに上げるぞと決めた勢いで、今またダチョー文を重ねている(首があんなにビューンって伸びたらどうしよ?←そやから、ええって、もう)。もしかして、下の文章を晒すためのイントロなのに、せっかく訪問頂いているかもしれない読み手の方が、下の文章に到達するのを阻害してきただけではないかと、鈍い頭でいま感づいた。さすがダチョーだ、と書くと、あの長い足で蹴飛ばされるかもな(←懲りてない)。

 だが、もう遅い。けど、もう、やめとこ。

 いや、最後に一つだけ。ある意味、俺は、ただでも忙しい現場の先生の労働強化を悪化させているのではないかという批判があるとすれば、かなり当たっているだろうね。それだけに、この点に関してどう考えるべきかという点を補足すべきかもしれんが、やめとこ、と言った以上、やっぱやめとく。

 では、ここまで御到達頂いた方は、よろしければ奥の院へ↓へどうぞ。

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2012年1月30日

T中学校における過去2年間の現職研修と今後の課題

澤田稔(J大学)

 寒い日が続いておりますが、先生方みなさん、お元気にお過ごしでしょうか。今日は、この2年間、外部講師として現職研修に関わった立場から、これまでの成果を振り返り、今後の課題を示してほしいという依頼を受けましたので、先生方は、いつものようにお忙しくされていることと存じますが、以下の文章に、しばらくおつきあい頂ければ幸いです。

 何よりもまず、生徒指導・部活動・高校受験対策という、三つの大きな指導上の負荷を避けられない中学校で、その他の多くのお仕事を抱えられているにもかかわらず、この2年間、授業研究という活動に継続的に取り組んで来て頂いていることに、まず感謝申し上げたいと思います。

 こうした取組は、何らかの機会が無理矢理設けられないと、日々の忙しさの中でつい後回しになりがちになるものであるだけに、定期的・継続的に機会が設けられ、いやでもそれに向けた準備が必要になるという状況の整備が大切な意味を持つように思います。しかしながら、私の勝手な見方かもしれませんが、私がT中に伺うのが段々楽しみになってきたのと同様に、先生方の中にも、ただ嫌々ながらとか面倒くさいけどというだけではない、「まあ、たまには、こういうのもあっていいかも。」といった、幾分かでも肯定的な感想をお持ち頂けるようになった方も少なからずおられるのではないかというポジティブな感触を得ております。

 こうしたポジティブな感触は、私の希望的推測に過ぎないという可能性も残るかもしれませんが、それなりの根拠もあると考えています。その根拠にあたるポイントこそ、この2年間の現職研修の最大の成果であると言えるでしょう。

 それは、第1に、生徒たちの姿や声を、その固有名詞レベルで、できるだけ共感的に捉え、そうした生徒理解に基づいて、実践・観察した授業を振り返るという授業研究のあり方に、ほぼ全ての先生が慣れてきて下さり、こうした方法の意義に関するご理解を深めていただけるようになったと感じられることです。集団学習においては、授業者の発問や板書なども重要ですが、これらに関しても、あくまで、目の前にいる具体的な生徒一人ひとりの活動や思考、外面や内面に関する十分な考察や議論を通じて検討するというスタイルが共有できるようになりつつあることは、最も大きな成果の一つと考えられます。

 第2に、それと同様に、一斉画一授業から少しでも脱却して、学習指導要領にも明記されているような個に応じた、個性を活かす授業の工夫や、個別の、あるいは小グループによる活動を通した生徒の自主性・主体性を引き出す試みが、ほぼ全ての研究授業で見られるようになったことです。普段の一斉授業では、なかなか意欲的な姿が見られないアイツに少しでも積極的に授業に参加させたいと考えて、固有名詞レベルのピンポイントで考案した工夫が、意外に多くの生徒たちを活性化させるということがよく生じますが、先生方の授業でも、さらに今後このような場面が増えて来るのではないかと期待しております。

 第3に、様々な専門的バックグラウンドをお持ちの先生方から構成される検討部会が作られて、教科や学年の枠を越えて、一人ひとりの生徒のことや、お互いの授業について、議論を深められてきたことです。互いの立場や専門を尊重することと、口出しをしないこととは全く意味が違います。我々は、自分にとって大事な相手であれば、相手を理解しようとし、異論があれば必ず質問し、自分の考えを伝え、お互いの考えをすりあわせようとします。また、専門外の人間が授業を見て分かりにくい授業は、実は、専門的にも低いレベルの授業である場合が大半です。その意味で、教科・学級学年・分掌に閉じこもりがちな中学校では、目の前の生徒たちのために、専門外の立場からも、どんどん意見を交換し合う空気がさらに醸成されていくことが期待されます。
 このように、生徒一人ひとりの姿や声をできるだけ共感的に拾い上げて、その理解を深め、そうした生徒理解に基づいて、画一的ではない、生徒の自主性や主体性を活かした授業を工夫し、その上で、専門・専門外を問わず、その授業について活発に議論し合うという機会を、今後も継続的に持つことができればと思います。

 たしかに、生徒指導や部活動も重要ですが、生徒が最も多くの時間を費やす授業に関する工夫がなければ、学校の根幹が揺らぐことになるでしょうし、教師個人としても、多くの生徒や同僚の信頼を勝ち取ることは難しいでしょう。そして、生徒や同僚の信頼を勝ち取ることができないことほど、教師にとって辛いことはないはずです。

 一方で、生徒指導において、生徒一人ひとりと逃げずに向かい合ってこられた、あるいは、部活動に熱心に取り組んで、生徒の授業とは別の側面に関する理解を深めてこられた先生は、若いながらもさすがに大きく成長されるのだなと、また、一見こうした授業研究に熱心に見えないベテランの先生も、ここぞという時には、生徒の主体性を活かした授業をうまく準備し展開されるのだなという点も強く感じてきたところです。個々の教師が、生徒たちと正面から向かい合って、試行錯誤を重ねつつ成長を遂げることは、授業力を高める上でも大きな意味を持つものと言えます。

 ともあれ、結局、学校もチームですので、それぞれの個性や立場を尊重しつつも、その仕事の核である授業を中心にチーム力を上げていくことが求められることは、繰り替えし強調するに値するポイントでしょう。詳細は、来年度伺うことができたら、またお話出来ればと思いますが、来年度の授業研究では、次の2点をさらに発展させていただけるようにお願いできればと考えております。

 第1に、研究授業を単発のイベントに終わらせないために、今年度よりも、「単元構成」という視点をさらに強化すること。生徒の学びを充実化し、学習に入り込めていない子どもを少しでも引き込んで行くという目標を、研究授業本時での取組だけでなく、その単元全体を通して実現して行くための、少し長いスパンでの構想と実践を試みていただくこと。その意味では、その単元が開始される前に、単元計画や指導案を作成頂いて、研究授業に備えること。

 第2に、個別化・個性化教育の方法論や協働学習的方法論を、さらに豊かに取り入れて頂いて、思い切った授業方法に挑戦していただくこと。研究授業は成功させるためではなく、今後に活かすための機会であり、むしろスベってもいいから、自らの殻を少しでも破り、新しいことに挑戦するチャンスと位置づけていただき、従前の無難な一斉画一授業の枠から脱却していただくこと。そのために、生徒を引きつける学習環境や独自教材作成にも取り組んでいただきたいこと(ちなみに、自分が新たなことに挑戦できない教員は、おそらく、生徒に対して新たなことに挑戦させたり、新たなことに向けて頑張らせようとしようとしたりすることができないでしょう)。

 今後、これらのことをお願いしていきたいと思います。現場の本当の忙しさも知らずに、まあよく簡単にこんなことが言えたものだ、というご感想をお持ちになるのも無理はありません。しかし、こうした研鑽は、必ず一教師として指導し続けて行く上でも、先輩や管理職として他の教員をリード・指導して行く上でも、必ず活きてくると信じています。私へのご批判も歓迎します。一外部講師の身で僭越ではありますが、是非、引き続き、先生方と一緒にT中のチーム力向上策に僅かでも貢献できればと思います。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。