水戸室内管弦楽団演奏会@ミューザ川崎

 今日は、まさに日記的エントリ。原稿の進捗が芳しくなくて、行きたい!って気持ちでもなかったのだけど、まさか、こんな時期まで呻吟しているとは予測していなかったので、チケットをとっておいた手前、もったいないしと思い、本日は初のミューザ川崎へ。
 室内管の演奏はずっとライブで聴きたいと思っていたし、あの水戸室内管だし、後半は、もしかするともうライブで聴ける機会もないかもしれない小沢征爾指揮だし(すみません)、しかも、ベト7という室内管で最も聴いてみたいと思っていた曲目だし、ということで、行って来た。
 いやあ、水戸室内管、めっちゃよかった。
 プログラムは、以下。

指揮:小澤征爾ベートーヴェン作品のみ)
オーボエ:フィリップ・トーンドゥル
【第1部】指揮者なし
メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲 第2番 ニ長調
モーツァルトオーボエ協奏曲 ハ長調 K.314(285d)
【第2部】指揮:小澤征爾
ベートーヴェン交響曲 第7番 イ長調 作品92

 座席はA席、4階席中央。
 ミューザ川崎会場webサイトによると、

ステージだけではなく、ホール全体の小宇宙を体験するような4階席。ステージからの直接音とホールすべての残響が集まってくるところであり、「ホールが鳴っている」という感覚を味わえます。ピアノ・リサイタルですとやや遠く感じるかもしれませんが、決して弱音が聞こえないということはありません。

てことだったが、まさにその通り。メンデルスゾーンなんか、弦だけの小編成でも、ホールの残響とともに、しっかりと直接音も届いて、極上。オルフェウス室内管みたいに、指揮者なしの演奏は、些か物足りないかなと懸念してたけど、全くそんなことなく楽しめた。ぜんぜん音楽の素養はないけど、オケがめちゃくちゃ巧いのではないかと。
 おつぎのモーツァルトも、フィリップ・トーンドゥルによるオーボエ独奏、オケとも快調!(木管独奏は、4階ではほんの少し、というか、ホールが高く大きい分だけ少し、サウンドが無理している感触はあったけど)。
 そして、休憩後の小澤指揮、ベト7。まあ、すごい演奏。4楽章などは、かなり早めのテンポでぐいぐい。演奏後はブラボーの嵐。
 けど、今日、このエントリをわざわざ書いて残そうとしたのは、同じすごい演奏でも、座席位置によって、その演奏総体の印象はかなり変わるんだなと実感したから。
 最後のこのベト7は、いわば熱のこもった演奏だったといっていいと思う。指揮者も、演奏者も、終結に向かうほど、意気込みがほとばしるような演奏になっていた。最近、体調を何度も崩して来たあの小澤氏によるね。
 実際、今回、へぇーっと思ったんだけど、指揮者用の譜面台の近くには、指揮する際に中腰になれる高めの椅子(これは、長時間立って指揮するのが困難な指揮者による演奏の場合にはよく用いられる)の他に、オケの楽器奏者用のと同じ椅子が背を向けて準備されていて、なにあれ?と思っていたら、ベト7の楽章間のほんなわずかな時間、オケがチューニングする間に、小澤氏が腰掛けて休憩する用だった。それくらい、もう体力的にきつい状態にある小澤氏なのに、演奏は、すこぶる推進力のあるもので、「舞踏の聖化」(ワグナー)の呼び名に相応しい、ノリノリのパフォーマンスだった(素人感想)。
 で、ちょっとブラボー早杉さんも、ちらほらいたほど。
 しかし、これ、もしかすると2階までの座席だったりしたら、もっと印象が違ったかも。小澤氏の棒から伝わる空気感とか、楽章間のオケによるチューニングの間、椅子に腰掛けてペットボトルの水を口に含みながら休んだ後、よしっ!って立ち上がって、次の楽章に向かう時の表情(斜め後ろからであれ、横からであれ、前からであれ)を感じられる座席だったら違っていたかもと。結局、こういうのも演奏の一部なんだよなと。そういうものを含むパフォーマンスの総体は、実は、座席位置によってかなり違うんだなという印象を持った。
 ミューザ川崎は、4階席でも、音響的には全く問題なく、むしろ、上記説明にもあるように、ホール全体の鳴りを味わえる良席だった。けど、指揮者とオーケストラ近くに流れている空気感(熱気)と、純粋な音響の比重が高くなる4階に伝わる空気感とは、少なからず違いがあるためか、すごい演奏であることはわかりながら、そして、めちゃくちゃ楽しめたコンサートではあったが、意外に、その空気感に差がなかったと思われる1曲目に比べると、ベト7の演奏は、自分の座席では少々醒めて聴かざるを得ないところに違いがあった気がする。ベト7も、1楽章の方が、聞こえてくる音そのものと、ホール全体から感じる演奏の印象との間に齟齬が小さかった気がする。
 ま、教育さん的に乱暴に言えば、でかい教室で、最前列と最後列では、伝わる空気違うものね。同じ内容の話を仮に同一の人物が別の場所で聴くと、その印象が変わる可能性は十分ある。この演奏会の最後の場面で、スタンディング・オベーションが、1階席と2階席で圧倒的に多かったのも、こういうことと関係してるかもしれない。
 4階は、小宇宙。惑星外なんだよね、やっぱり。PAを使わないクラシックの場合、ホールの大きさや形状は、演奏に対する印象をそこそこ左右するってことね。
 ともあれ、よいしょでなく、とてもいい演奏、いいホールでした。水戸室内管はまた絶対聴きに行くし、ミューザにも行くぜ、きっと。
 以上、個人的な気づきの記念カキコでした。
 …うわあ、また、進捗…orz

自分の論文の読書会が行われていた模様

 久々更新。

 以前、頼まれて『日本の科学者』という雑誌に「科学教育のカリキュラム・ポリティクスー対立と価値判断の原子力・エネルギー教育へ」という短い論文を書いたんだけど、業績一覧更新で情報コピペするのにネット探ったら、自分の論文の読書会情報とかが見つかって、一瞬汗。
 見たらなんかそこそこ褒められててニヤリ。自尊感情それほど高くないので、こんなんでもホッとしました。M.K.先生(どなかた分かりませんが)、ありがとうございます。

「日本の科学者 読書会」Oct 2012
http://jsafukuoka.web.fc2.com/Dokushokai/blog/files/archive-oct-2012.html

 いや、しかし、いま書いているのも早く仕上げねば。こんな更新してるバヤイじゃないわい。で、やっぱり汗。

 そろそろ初夏か。

日本の科学者 47ー10 特集:科学と教育の結びつきを問い直す

日本の科学者 47ー10 特集:科学と教育の結びつきを問い直す

教育さんが聴いたオバマ大統領2014年一般教書演説

やっぱり、この人、スピーチうまい、。先生になったら、きっといい先生になっただろうなと思う。話が巧いだけじゃなくて、そこで取り上げている個々の話題に関連する人を、その場に招待していて、その固有名詞を丁寧にあげながら語るってところがね。

それにしても、こういう感想持てるのも、インターネット時代のおかげ。いまや、アメリカの大統領の一般教書演説も、ライブでもオンデマンドでもすぐに視聴できて、トランスクリプトまで即座に利用できる。英語が嫌じゃない方は、このブログ記事読まれるより、それを御視聴、御一読頂く方がいい。

Text and Video of Obama’s State of the Union Address(NYT)
Text and Video of Obama’s State of the Union Address - The New York Times

なにせ、以下は、少々すでに酒が入っているのに、自分のメモ代わりに、この演説の教育政策関連部分の意味だけを簡単に書き留めておこうとするだけなので。間違って解釈しているところが分かった場合には、後日訂正します。まあ、それでもこういう旬のものは、後回しにするよりましってことで。

ところで、the State of the Union Address をいつから、誰が「一般教書演説」と訳すようになったのか、調べようと思ってまだそのまま。どなたか教えてください。明治以来の、かなり古い歴史があるような気もするけど。

今回、オバマ大統領は、アメリカという国の状況を振り返って、そこで今頑張っている人たちの例から演説を始めて、その一番手に、子どものために残業してる先生たちのことをとりあげてたけど、the State of the Union って、たんに、そういう国全体の状況くらいの意味だし。

さてさて、すぐ終わるけど、本題。

オバマ政権のこれまでに鑑みれば、教育に関して、目新しい政策の方向性が提起されているようには見えなかった。全ては、現政権発足以来目指されてきた方向性を、さらに前進させるという意味合いの提言になっているという印象。中には、なお、実現が難しそうなこともある。ここで示された論点は、たぶん、主に4つ。

第1に、RTT(Race to the Top:頂点への競争)政策をさらに発展させ(おそらくCommon Core Standardに示されているような)問題解決能力型の思考に重点を置いたテスト体制を強化すること、第2に、質の高い就学前教育、幼児教育を広範囲に普及させること、第3に、学校における高速インターネット回線利用の普及を推進すること、第4に、若者を雇用・職へと導けるように、中等教育と大学・企業の連携協力や大学改革、奨学金制度の充実などを図ること、これらである。

以下では、第1と第2の点のみ、若干の注釈を加えておきたい。

第1の点に関しては、5年前にRTT政策を始めてから、それまでよりも、大学を卒業できる若者が増えた(ドヤっ みたいな自慢話のあと、全米で新たな経済社会に見合う能力を身につけさせられえるような教育に大きな進展が見られつつある、と、これまたドヤ顔スピーチが続く。

ただ、ここで注目すべきなのは、その新たな経済社会に必要な能力として、理系科目(科学=理科、技術、数学)重視とともに、問題解決能力、批判的思考を明示的に含めている点。「いかにうまくテストで空所補充問題を埋められるかではなく、いかによい思考ができるかを測定する新たな方法を支援する」ことの重要性が強調されている。理系重視という点は、とりあえず措くとして、後者の問題解決能力・批判的思考重視の方向性は、教育さんにはおなじみの、いわゆる活用型学力、PISA型学力(日本で言えば、全国学力状況調査B問題的な学力)の育成に力点を置くことを意味するとともに、それを「測定」するという言葉が、演説に用いられていたことから推察されるように、そうした学力を評価するための標準化されたテストの実施を推進強化することを示唆している。そして、こうした目標は、アメリカ合衆国にこれまでなかった連邦レベルでのカリキュラム基準(ナショナル・スタンダード)であるCommon Core Standardとその適用のされ方に具現化されようとしている。

日本が、今後真似しようとする可能性があるとすれば、これかも。これは部分的には、ある意味で、先進諸国の国際的トレンドなのかもしれないけど、テスト体制強化で、学校レベルの平均点公表して、競争というのはやめた方がいいんだけどな。NSC日本版みたく、RTT日本版とかなったら、と思うとぞっとする。

第2の点に関して言えば、「研究の示すところによると(Research shows that…)」という表現に見られるように、学問的成果を踏まえて、幼児教育に投資することの意義を唱えていることが分かる。このあたり、一国のリーダーが一つの政策を主張する上で、その分野の学問的成果(教育学、社会学、経済学、心理学等)を十分に参照して政策提言が行われていることを意味すると思う。うちらの国はどうでしょう?

ただ、前の一般教書演説でも主張されたこの幼児教育への公的予算投入という案の実現は低そうに見える。学問的研究の示唆するところとは異なり、就学全教育や幼児教育に公的資金を費やすことや、それを国策とすることに同意するような世論が形成されるのは、難しいからだ。もしかすると、アメリカでは、国民皆保険制度以上にウケないかも。

以上のようなごく簡単なメモ書きにも、いろんな誤解が含まれているかもしれない。問題をご指摘頂けると有り難いっす。

『デモクラティック・スクール:力のある学校教育とは何か』(上智大学出版、2013年)

p.55 欄外 訳注(10) 1行目
(誤)原語表記は、mastery teachers。
(正)原語表記は、master teachers。


p.66 本文1行目
(誤)若いプエル・トリコ系の
(正)若いプエルト・リコ系の


p.105 本文第2段落の4行目 「様々な所得層の世帯」に以下の訳注を付加。
様々な所得層の世帯(mixed income families)とは、貧困層中産階級世帯が同一コミュニティに住む状態を意味する。これは、アメリカで進められてきた住宅政策によるもので、ミックスト・インカム住宅(mixed-income housing)と呼ばれる賃貸住宅を建設し、生活保護を受ける世帯と中産階級の世帯が同一のコミュニティーに住むことで格差是正やコミュニティの改善に結びつけようとするものである。こうした住宅は、一般の家賃を支払う中産階級世帯を惹き付けるために、建物や施設に工夫が施され魅力的なものとして建築されることが多い。


p.134 本文16行目 「分かち合いの時間」のルビ
(誤)シャリング
(正)シェアリング


p.219 欄外 訳注(10) 2行目
(誤)就学前共苦
(正)就学前教育


p.235 邦訳情報を付加する。
Gutmann, A. 1987. Democratic Education. Princeton, NJ: Princeton University Press.(エイミー・ガットマン著、神山正弘訳『民主教育論 : 民主主義社会における教育と政治』、同時代社、2004年)


pp.242-243 脚注番号の本文該当箇所がズレています。
p.242 本文最終行 
(誤)…を呼びかけているのである(3)
(正)…を呼びかけているのである。
p.243 本文5行目
(誤)る。」
(正)る。」(3)


p.247 本文1行目
(誤)勝ち取られた
(正)勝ち取った


p.267 本文下から4行目
(誤)…資質能力ベース中心の
(正)…資質能力中心の

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

 他にもあるかもしれません。何かございましたら、是非お知らせください。
 どうかよろしくお願いいたします。

『デモクラティック・スクール』第2版の誤植等について

 絶賛(?)発売中のマイケル・アップル、ジェームズ・ビーン(編著)拙訳『デモクラティック・スクール:力のある学校教育とは何か』(上智大学出版、2013年)ですが、いくつかミスが残っておりましたので、ここに、お詫びかたがた訂正をさせて頂きます。

『デモクラティック・スクール』いよいよ刊行!

 何分の1かは手前味噌になってしまいますが、本当にいい本だと思います。多くの方に読んでいただきたいと思っています。
 300頁。2100円(税込)。
 よろしくお願いいたします。


『デモクラティック・スクール』リーフレット.pdf 直





デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

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