「マル激トーク・オン・ディマンド第362回」視聴

 ビデオ・ニュース・ドットコム、マル激トーク・オン・ディマンド 第362回(2008年03月08日)「格差が少子化を加速させる」を視聴した。この番組はインターネット配信で、ジャーナリストの神保哲生氏と社会学者の宮台真司氏がパーソナリティを務める週刊コラムニュース番組だ。3年ほど視聴している。
 これと、同じくネットニュース番組、ミランカ「博士も知らないニッポンのウラ」も面白い。こちらは最近2週の収録は視聴無料。パーソナリティは、水道橋博士氏(浅草キッド)と評論家宮崎哲弥氏。
 いずれも地上波ニュース番組やほとんどの新聞では到底出てきそうにない視点、扱われそうにないトピックが満載で、日本のメディア・リテラシーには有効。特に大学生にはいいと思う。マル激の方は、時間が長いから、ゲストの話がいまひとつだとゆっくり見る気がしない場合もあるが、たいていは発見がある。
 さて、今回のマル激は上記のタイトルで、ゲストは『パラサイトシングル』や『希望格差社会』で有名な山田昌弘氏(東京学芸大学教育学部教授)。パーソナリティは、レギュラーの神保哲生氏が取材のため休みで、なんとジャーナリストの斎藤貴男氏(『教育改革と新自由主義』、『機会不平等』、『安心のファシズム』、『報道されない重大事』等著書多数)が代役だった。その進行ぶり、非常に要領を得ていて上手く感心した。概要は、webサイトで読める。
 今回、少子化と(正規雇用/非正規雇用問題を含む)格差問題が切り離せないという論点が明快に論じられていた。まず、経済的基盤が安定しないから結婚できない。むろん宮台氏が言うように消費社会化で生活スタイルの選択肢が増えて、結婚圧力が減少したという側面の影響はあるにしても、結婚していない人々が、結婚したくないと思っているということではなく、結婚したくても経済的に見通しが立たないから結婚を現実に考えることができない人が増えているということらしい。
 また、パラサイトシングルも格差問題と切り離せず、親の年金で暮らすしかない30-40歳代の人々に関しても山田氏が言及していた。平均寿命から言って、高齢の夫婦は夫の方が先に亡くなることが多いので、結局、高齢/中年という年齢構成の母子家庭が増えていると。そして、仕事が無くても親の年金収入でかろうじて暮らしている子どもは、なんとか生活費があるからということで社会から手当てされる対象にならず、身の回りの世話ができる子どもがいるからということで、高齢の親の方も社会によってケアされる対象として見なされなくなる。制度上、こういう親子は社会から見放されている部分があるということになる。こうなると、むろん、結婚など夢のまた夢。
 というわけで、少子化、パラサイトシングル、格差問題の結びつきを具体的に説明されると、しかも、欧米社会(社会的弱者を社会全体でケアしなければならないという考え方がより広く浸透し、それに応じて社会的基盤が整備されている)との違いを冷静に指摘されると、本当にもっと多くの人が社会にコミットして、批判的な思考力を持てるようにしないと日本はヤバいという事実がますます前景化してくる。
 唐突に聞こえるかもしれないが、教育社会学者、本田由紀氏(2008年01月19日第355回マル激トーク・オン・ディマンド「格差社会を生き抜くために知っておくべきこと」に登場している)の議論は、もっと参照されていいのかもしれない。本田氏は、職業的レリヴァンスを持つ教育の重要性を訴えている。要するに、漠然とした「生きる力」とか「人間力」などど言っているだけでなく、他方で、普通教育と言って、将来どこにつながるかもわからない『教養主義的」教科教育(学力低下!基礎学力!)ばかりやっていないで、もっととりあえず職業生活で活かせる技能を、中等教育段階から学校でトレーニングしろ、もっと職業教育を軸に据えた学校教育を増やそうと提言している。
 逆説的だが、「人間力」などというアモルファス=無定形なものを追いかけると人間力が逃げて行くのに対して、核になるある種の専門性を身につけることで、それをベースとして人間力が問われる様々なコミュニケーション場面へと、能力的にも心理的にも踏み込んでいけるのではないかということであり、また、核になる専門性をベースとして、そこから必要となる教養の習得へと拡げて行く方が、知識にリアリティあるいはアクチュアリティがある分だけ、動機付けという点でも、社会的有用性という点でも、多くの子どもにとってより望ましいというわけである。これは、エリート主義のネガのような、底辺層には底辺層なりにという教育をのみ志向しているものと見なすべきではなく、いわば「逆転」の発想だ。こうした教育が、そうした多くの子どもたちにとって、経済的基盤を形成するための知識・技能や、職業・社会生活で必要なコミュニケーション能力を手に入れるために、より望ましい機会になる可能性が高いということだろう。
 そういえば、結婚も、まずは、経済という生活基盤と、パートナー(になる可能性がある人、及びなった人)とのコミュニケーションという二つの問題なのかもしれない。
 それにしても、やっぱり教育の役割は小さくない。むろん、システム(制度設計)の改革も同時に重要だが、それも我々のリテラシーと結びついているわけだから。子どもを教える教員のリテラシー、その教員を養成する大学教員のリテラシー(というか教育力)。いまの日本のワイドショーに、ニュース番組に、新聞に、政治にラディカルな疑問を抱かない(抱けない?)ような水準のリテラシー。宮台の言う「民度」。
 その点で、山田氏が番組内で紹介していた大阪大学大竹文雄氏による調査結果は是非実物を確認したい。山田氏によると、その調査で、日本は、困っている人がいたときに、それを国がケアすべきだと考える人々の割合が、先進国中最低らしい。
 しかし、嘆いていても仕方がない。山田氏が番組で指摘していたように、日本の民度を嘆く自分も日本の民度の中で育って来たわけだから。社会にコミットするということは、そういう状況を当事者として捉えることであろう。
 最後に、ひとつだけ。宮台氏が、左翼を批判的に継承するリベラリズムとしてラディカル・デモクラシーにコミットしていると表明していたのが印象に残った。興味深かったのは(といっても勝手な自分の解釈だが)社会全体でまず救済しなければならないのはどの部分か、といった議論を含む公共圏の範域を永久に具体的に議論し続ける以外になく、その果てしない営みがラディカル・デモクラシーだ、という趣旨の発言をしたところだ。Michael Appleのことを論じるにも必要だから、勉強しないと。

 下の写真は、この日記と全く無関係(^^;;)。ウィスコンシン州スプリング・グリーンという田舎町にあり、フランク・ロイド・ライトが創設したタリエセン(Taliesin)という建築家養成学校の一部。2007年9月17日撮影。